2009.04.28宮崎にて

普通の出来事って何だっけな…

今日のphoto
写真フレーム

最近肌荒れが酷い。。。パンの耳GET!

だれもが経験することってなんだろうか


この日は目覚めると、全く他人だった人の家で寝ていて変な感じだった。大きな一軒家に自分ひとり。出来るだけ何も崩さぬようすぐに寝たので、布団を畳んでカバンを整理。手紙を書置きしようと思ったが辞めた。やっぱり挨拶だけはしに行こうとお家を貸してくださったお母さんの職場、道の駅「喜入」へ。
大した恩返しにはならないが、運営されている温泉に入る事に。お母さんの姿を見かけないので、聞くと休みだと別のスタッフの方。残念だが、電話をしてみた。昨日話した明るいお母さんの声が聞こえて嬉しくなった。「もう知覧へ向かうので先にお礼じゃないですけど温泉入ってから行きます」ありがとうございました、というと気をつけて言って下さいねと。ゆっくり温泉で英気を養い、さぁ出発しようと浴場を出ると、スタッフの方からバスの出発時刻を教えられる。温泉に入っている間にお母さんが電話し、色々手配してくれていた様だった。・・・どこまでしてくれるのか、と驚きながらバスに乗る。すると、携帯が鳴った。お母さんからだ。「ちゃんとバスに乗った?そのバスが昨日案内した家の前を通るから、私玄関に出て手を振りますからね」とのお話。もうグゥの音も出ない。人に感動を与える、人に無償で何かをするってこういう事なのかなと反芻して家が、お母さんが見えるのを待つ。しかし中々姿が見えない。また携帯が鳴る。「あ、そのバス家の前通らないわ~。勘違いしてました(笑)じゃあ元気で、気をつけて行って下さいね」と人が良く少し天然だったお母さんらしかった。
少し時間が経ったら手紙を書いてお礼を言おうと思った。そんなお母さんはNHKラジオで5月8日に全国道の駅紹介みたいなのでインタビューに答えるらしい。ちゃんと話せるかな(笑)
お母さん、検討を祈ります!!

知覧は、広告の仕事をしていた時のケアタクシー(運転手の方は介護士の資格を持っており、単に人を送るだけではないサービスを行っている非常に優良な)会社の社長さんに是非行ったほうがいいと薦めて頂いたところ。「涙が出るよ」と。 
知覧に着いたら、早速撮影ボランティアを少しした。そしたら、あるおじいさんに声をかけられる。「どこから来たの?」いつも通り話をすると「君は本当のボランティアとは何かと考えた事はある?」と聞かれる。詰まる僕。そのおじいさんは記念写真を撮って、それを買ってもらう仕事をしていた。「撮られたら嬉しい人は沢山いるだろう、けれど我々のような人間からすれば君は敵だな」つまり仕事を、生きる糧を奪う事にもなる。もちろんそういう所は避けてやってはいるが、改めて深く考える機会を貰えたのでその場に腰を落とす。また、「学ぶとは?知恵とは?生きるとは?」などなど色んな話をおじいさんに聞いて、問答した。最初は高圧的で詰められているような感じだったのでストレスだった。「あんたに何がわかんだよ!?」って思ったりしたが、大事な事だと向き合ってみる。お陰で色んな事を深く考えて、自分なりに整理できた。あんなに一つ一つの物事を深く考え、語ったのは久しぶりだった。平和記念館に入る前に心地良い精神状態に。道にある食べられる葉っぱや、草笛、ちょっとした「知恵」を貰った。記念館を見て次の場所に行く時間が無くなってきたのでお礼を言ってその場を後にした。「沢山勉強しておいで」おじいさんは満足そうに笑ってた。

知覧平和館の事は書くときりが無いし、見解も沢山あると思うので省略。知覧特攻隊の事を知らない方は検索してみて下さい。ただただ、自分が特に心に残った事だけ。出撃前に青年達が書く手紙で圧倒的に多いのは母への言葉。皆、母への想い、自分の今の想いを綴っている。
『初めて離れるとき、台所の隅で泣いている母様を見ました。離れてお国のためにと頑張っている間もあの姿は焼き付いて離れませんでした。長らくして休みに家に戻ったとき、母様はまた涙して大事に迎えてくれました。僕は強がって寂しく無かったと言いました。それからまたしばらくして、母様が長い休みに何日もかけて会いに来てくれた時、僕は強がって別に寂しくないし、無理してこんでも良かったのに、と言ってしまいました。その後、母様と手を繋いで歩いた時の温もりは今もまだ残っています。どれだけ嬉しかったことでしょう。母様、僕はもう行きます。お国のために、母様をまもるために死ねるのなら本望です。会えなくなるのは寂しいですが、心は揚々としています。ご心配なさらずに。母様、いつまでもお元気で。さようなら』
本物とは文章も大分違うだろうけれどそんな感じのものがあった。ありありと当時の状況と青年の想い、母親の愛を感じ自然と涙があふれた。絆とは、愛とは、覚悟とは、生きるとは、、、色んな事を考えさせてくれた記念館だった。大事なものがそこにはあって再認識させてくれた。
人生一度は行ってみて下さい。

さて、そこから今度は宮崎県へ向かう方法を考える。宮崎にいる親戚一家が泊めてくれる事になっているので。もちろん、お金は使わずに。どうしようかなと思いながら撮影ボランティアをしていた。あるファミリーを撮り終え、興味を持ってくれたので旅の事を少し話す。まだ知覧で撮っていない所に行こうと一旦さよならをした。そこでふと迷う。「ヒッチハイクするつもりだったけど、一応聞いてみようかな」と取りあえず鹿児島市街に出たいのだけど、というと方向も同じで何とOKして下さった!!知覧から鹿児島市街までは車で30~40分。ファミリー一番のお父さんとずっと話して勉強させて貰っていた。目的地に着き、降ろしてもらうと何とその場にあったお土産屋の有名な最中を奢って下さった!送って頂いた上に、食べ物まで、、、穏やかで優しい雰囲気のご家族でした。最後にお母さんが「ご両親に感謝しなさいね」と一言。笑顔で返事をして、深いお辞儀でお別れした。

さて、ここから宮崎まで結構あるぞ。どうしよう、となる所だが実はもう1つ応援してくれる力があった。mixiにて2年~3年前に知り合い、お互いの顔も知らずやり取りしていた方が、助けに来てくれると。知覧にいる頃に連絡が入っていた。僕の状況を知って急遽宮崎⇔鹿児島を断行してくれると。どんだけいい人やねん!と心で突っ込みを入れつつ、その方と会える夜までは時間が結構あったので、鹿児島の街を色々と歩く。途中パン屋を発見。そういえば、オードリーの春日さんがパンの耳を沢山貰ってたなぁ~、、、出来るかな。腹減ったし、それで空腹をしのごうと店へ。聞くと「売ってないよ」と強めに言われる。そうですか、と出て行こうとすると「ちょっと待ち。これくらいで良ければあげるよ」と。ありがとうございます!とお礼の気持ちに16円のピーナツバターを買った。16円で腹いっぱいなるなぁ。これがまた旨いんだ。しかし、旅にでて色んな経験と発見してるな~と思う。ふと思い出し、鹿児島中央駅で数日前餃子を貰ったお母さんに報告に行ったが、休みだった。残念。
大きな広場で待ちがてらPCで作業していたら、でっかい外人さんが2人横に。モロッコ&ドイツの二重国籍の外人さんとコミュニケーション。困っていたようなので話を聞き、走り回って調べてみる。どうやら熊本にバスで行きたいらしい。しかし、近くには無いとのこと。少し離れた所にあるようだが、自分も初めての街の為、方角が合ってるのかやら本当にあるやらが確認できない。待ち合わせ場所を離れてしまうが2人に「俺も一緒に歩いていくよ」と言ったら2人は「君はナイスガイだ。心配要らない」とたしなめられた。「でもやっぱり心配だ」と言うと、「君は君の旅を楽しんで頑張ってくれ」と言ってくれた。「Good Luck!」と言ってハグをし2人を見送った。ちゃんと着いてると良いな。

そうこうしている所に、知り合いの方が登場。軽く挨拶をして早速出発。やり取りはしていても会った事も無かったので、もっとギクシャクしたり緊張したりするのかなと思っていたけれど、凄く話しやすい素敵な方だった。友人の方も一緒にいらっしゃって、3人で宮崎へ向かう事に。高速使って約3時間のドライブ。宮崎の事を少し聞いたら、LOVEトーク?むっちゃ面白かった。途中、パーキングで霧島に。くそう、、、ここは旅行で来よう。一応通ったし良いかと思いながら、運転してくれてる2人をパシャリ。自分としては、車内が本当に楽しかったからあっという間に目的地に着いてしまい、今度は従姉妹の車に乗車。御礼を言って握手で別れた!元はネットでしか知らなかった人。縁や繋がりってやっぱり凄いなと感慨深かった。

そして、従姉妹の家へ。多分6年ぶりくらいの従姉妹たち、おじさんとおばさんに会えて凄い嬉しかった。まさかこんな形で会うとは思ってなかったけれど、みんな変わってないな~と思いながらも、一番下の高2の女の子は、やっぱり大人に近づいていた。昔は小学生やもんな~。小さかったイメージしかないから未だにそんな感覚で接してしまう。時間も遅かったので、話もそこそこに。みんな次の日に予定もあるし、同い年の女の子には朝から高千穂峡に(無茶遠い、135kmくらい離れてる)連れって貰う事になってる。

色んな事にワクワクしながら、イトコと同じ部屋で寝た。これも何年ぶりかな、とか思いながら。


◎撮影ボランティア:本日15名/旅でのトータル143名
◎代弁ボランティア:本日0名/旅でのトータル4名
【涙は心のスイッチ 米田真介】

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2009_0428_鹿児島知覧