一日あれば色んな事が起こる
吉満さんはお仕事。起きないとなぁ~と思いながら2度寝。イカンイカン!と起きたら、吉満さんは2度寝、3度寝してた(笑)何とか2人とも起きて準備していると吉満さんから「これ持ってく?」とギター。バックパッカーという名前の小型ギター。僕は自分のギターを石垣島で早々に送り返した。なぜなら重過ぎるし邪魔になるから。しかしこのギターは小型でかなり軽量。バックに上手く取り付けて持っていけそうだった。かなり悩む。。。「僕はギターいっぱいあるし、今は全然弾かないから使って貰える方が良いしね。またいつか返しにでも来てくれれば良いし」なんて言ってくれるものだから余計悩む。。。ぐぬぬぬぬ。悩みに悩んだ結果、持って行かない事にした。今でもかなり荷物は重くて大変だというのも勿論ある。だけどそれ以上に1ヶ月ほど旅をして、一日の中で自分が出来る事の量や必要不必要な物が判ってきた。人間あれもこれもはアカンみたい。昔から何度も経験して痛い目みてるのになぁ。今回の旅ではシンプルに撮影ボランティアをしながら日本を周り、人との出逢いの温かさを日記にしたためる。という事にまずは絞ろうと思った。色々やりたい事、あるけど。結果日記も今や何日も遅れてしまう状態。やりたい事をやるなら、まずはこの一本を完璧にしてから、次のステップだなと。
吉満さんとはお別れして、電車で吉野ヶ里遺跡へ。駅から吉野ヶ里遺跡までは歩いて10分。よし、と歩き始めると視界の端に人の群れが。。。小学生がいっぱい駅のホームにいた。遺跡をまわる時に沢山いたら動きにくくなるなぁ~。と思いつつ急ぐ。途中ジャブ程度に高床式の建物があり、道の横には稲穂が揺れる綺麗な景色が広がっている。ここを歩いているだけでも、都会生まれ都会育ちには楽しいんじゃないだろうか。到着すると笑ってしまった。なんと、小学生がワラワラと止め処なく溢れている。オープンは9時からだが、遠足やら修学旅行やらで小学生は早い時間から出入りして見学しているとのこと。ガイドや先生に連れられて歩く小学生を横目に大人の自分は1人揚々と楽しむ。通り過ぎると元気良く「こんにちわ~」と挨拶する小学生。まだまだ擦れてないな~と感心。
ここで、、、皆さんに声を大にして伝えたい。吉野ヶ里遺跡のポテンシャルは半端ナイッす!!個人的にむちゃくちゃ良かった。「弥生人の声が聞こえる」のキャッチコピーの吉野ヶ里歴史公園は、広い。全部を歩いて周ると2時間はかかる。そして高床式倉庫や、雰囲気のある竪穴式住居がある集落など、中に入って行くと本当にその時代を錯覚できる。いい場所だと、現代の建物など何も見えない状態になり、弥生時代の建物や畑、遠くにある山々しか無いので本当に昔はこんな感じだったのか~と想像して味わう事が出来る。その時代をジャンプする感じが何とも言えない。そうすると風や広い公園の自然も少し違ったものに感じる。春や秋は花が咲くので花畑もある。とにかく自然が多くて広い公園なので気持ち良い。家族やカップルできてもゆったり散歩して、適度な所のベンチで休んだり、手作りのお弁当を食べたり。公園では大きなボールを借りたり、アスレチックの様な場所もあるので十分楽しめる。多分事前予約だと思うが、竪穴式住居の中でお弁当を食べたりする事も出来るようになっている。デートに家族サービスに是非(笑)
そんなこんなで堪能していると、事件が勃発。敵や村の様子を見渡す為の高台に登った時の事。小学生がお弁当を広げてワイワイやっていた。それを横目に写真を撮ったり、空気を味わっていたら、小学生が近づいてくる。Tシャツの後ろにかかれている「500万人泣かせる~」を読まれ、何してるの?と聞かれ、色々答えたり遊んだりしてあげていると、、、さすが、子供。一気に、遊んでくれる優しいお兄さんと認識された。大阪弁やし、面白がっていた。いきなりバァン!と鉄砲を撃つ真似をするので喰らったリアクション、刀で切りかかってくるので切られたリアクションをした。…いや、大阪の人やったら反射的にしてまうやろ...と思ってたらむっちゃ喜んでいた。「お兄さんの名前は木村拓哉だよ」というと、「嘘やろ!」と総ツッコミを喰らう。さすがに小学6年生には無理だった。でもHPがあるとか名刺を出すと、子供の目が変わる。「芸能人や!有名人や!」と名刺を一気に全部持ってかれた、取り合い奪い合い。さらに「サイン下さい!!」とノートやらハンカチを出しまくってくる始末。ピラニアみたいだった。「俺はサインなんて書いたことないし、価値無いで?」って言うたけどテンションの上がった子供にはそんなのは効かない(笑)渋々そこにいる子達には全部書いた。何とかそれで一段落したので「ほなな」と立ち去る。しかし子供は面白いものを見つけたらトコトン着いてくるんだろう。「米田さぁ~ん!どこ行くんですか~?一緒に行きます!」「米田さ~ん!」「イケメ~ン!」と叫ぶ叫ぶ。その頃には一般のお客さんも入られていたので、物凄く恥ずかしかった。
取りあえず、逃げて別のところに行ったら、もう噂が広がっていた。違う子達に今度は「米田さ~ん!イケメ~ン」と追いかけられる。握手やら名刺やら求められ、、、はぁ疲れた。。。と吉野ヶ里遺跡を後にした。子供って面白いけど恐い、、、。
さぁこっからどうしようかと、考えながらPC作業。日記が...。で、閉館時間が近づいてきたので、次の目的地福岡へ行く事に。佐賀県には2日間しかおらんかったけどまぁいっかと思いながら、職員さんに福岡方面へ帰る人いますかと聞いてみる。居なかったので駐車場で一般のお客さんでいそうか確認。ナンバープレートを見るが居なかった。仕方ないな~と道路に出る。さぁヒッチハイクしようかと思って用意する。そこで、ふとヒッチハイクはどんなのが成功しやすいか調査してみようと、今回は抜群の笑顔でヒッチハイクする事に(今までは別に笑顔ではなかった)。助けて~という表情とどっちのが良いのかという調査。ボードに福岡方面と書き、ヒッチハイク開始。開始2分。乗せてもらいました。早っ!(笑)自慢じゃないけれど、1人になってヒッチハイクを始めてから10分以上待った記憶が無い。日本ってあったかい。
乗せてくれたおじさんは40歳後半。今までに4人くらい乗せた事があるらしい(そういう人が乗せてくれる可能性が高い)。仕事帰りでそのまま乗せてくれた。なので福岡から少し離れた事務所までしか乗せてやれんけど、ということ。実際に事務所に着くと、皆さん普通に迎えてくれる。コーヒー貰って、トマト貰って、飴まで貰った。一緒にこれからの動きも考えてくれた。福岡の人は「我が我が(わぁがわぁが)」という県民性だと聞いていたが、その通りかもしれない。結構話しているときに、皆自己主張が強く、声も大きめ(笑)。大阪に似てて個人的には心地良いけど、自分も取り残されまいと必死目に話した。話の流れで、今日はここの事務所の上に住んでる所長さんに泊めてもらう事に。その場にいないのに、従業員の皆さんで勝手に盛り上がる(笑)。「パタパタされるから適当に付き合ってあげてくれたい」と意味深な言葉。何度聞いても「会ったら判るから」とそれみなさん笑ってそればかりだった。所長の戻りを待つ間、夜の福岡を車でまわってくださった。仕事疲れの中、ありがとうございました。で、事務所に戻ると所長さんと初対面。よろしくお願いします。と挨拶を済ますと、部屋を与えられ、シャワーを浴びなさいと。出てくるとご夕食が用意されている。。。何とありがたい。僕は呼子で手に入れた、島田紳助さんの番組ご推薦のイカさしをお礼にプレゼントした。さぁ頂きます!となる時、所長さんが変な動きを。両手を広げ食卓を包む。「根源様、お願いします。○×◆△■~~」と呪文を唱えた。なんだこれ?と思ったら、「これで美味しくなるんだよ」と所長。「一番安い発泡酒、これも私がこうすると…」同じように呪文(儀式?)を唱える。「ほら、生ビールと同じように美味しい」。僕は大して良いリアクションが出来ていなかっただろう。自分を悔やむ(笑)。一緒にご飯を食べた後、「米田君、悪いところ診て治してあげよう」と所長。もちろんご厚意を頂いているので断れるはずもなく、されるがまま椅子に座る。また所長は呪文を唱え、目を閉じながら気孔師のように手を体から少し離した場所で僕の全身をスキャンした。「ここだね。判った」と所長は意気込む。そこから始まった。パタパタ。一気に両手をパタパタし始める所長。全身くまなく。体には一切触れないので、風が体を通る。風が体に吹くくらい両手を包むようにパタパタパタパタ……。「これは何だ?俺は一体何をされているんだ?」と笑いを堪えられなくなる、、、幸いTVでバラエティ番組がついていたのでそれの笑い声に合わせて笑って難を凌ぐ。10分くらい経ったろうか、所長は汗だくで「終わった」と一息。汗を拭きながら「どうだい米田君?痛みはまだあるかね?」と問いかけてきた。正直10分もされて、実際楽になっているのかどうなのかも半分半分の変な感じになっていたので「はい~、、、楽なりました…。ありがとうございます」といった。こういう場合のお笑い芸人の人達の気持ちが良く判った。所長さんは「僕はこれがあるから体も健康だしいつも楽なんだよ」と言っていた。
その後は、お父さんは自分の部屋で、僕は与えられた部屋で朝を迎える形に。PCを触って作業したり、TVを見たりしていると遅い時間になった。その間、隣の部屋から、寝言(苦しそうな呻き声)やイビキが何度も聞こえていた。
これが、パタパタか、、、僕は色んな事を思いながら眠った。
◎撮影ボランティア:本日41名/旅でのトータル449名
◎代弁ボランティア:本日0名/旅でのトータル4名
【涙は心のスイッチ 米田真介】
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